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江夏豊、豪腕・二十歳のエース、昭和43年2月のキャンプがすべて

 野球学を学ぶ上で、偉大なる野球人の話を追いかけていく、シリーズ「野球人の教え」

 第一回は、江夏豊投手にスポットを当てる。江夏豊投手といえば、1979年11月4日に大阪球場で行われた近鉄バファローズでの「江夏の21球」があまりにも有名。しかしながらしんちゃんは、腹の出たおっちゃん程度の認識であった。

 江夏投手は、甲子園に出場をしていないが、超高校級の逸材で昭和41年のドラフト会議で4球団から指名されている。砲丸投げで鍛えた豪速球投手。しかし、豪速球しか投げられないという大きな弱点も持っていた。

 昭和42年のシーズンは阪神タイガースの得点力不足に泣くこととなる。しかし、彼の優れたところは逆境をバネに出来るところだろう。自分の持つ力でファンを楽しませるにはどうすればよいのか、ということを考えだしたのである。それが奪三振王を狙うということ。

 150Km/h前後の豪速球で次から次へと三振を奪っていき、シーズンで225奪三振を挙げて最多奪三振を記録、コントロールに課題があり88個のフォアボール、1試合平均に1被本塁打をあびるといった課題も残したが、高卒ルーキーが奪三振王を達成したこと自体、すでに偉人の粋に達している。

 翌昭和43年2月のキャンプで、江夏氏は林義一コーチと運命的で出会いを果たす。この出会いで、砲丸投げから学んだ腕力で投げる「担ぎ投げ」を修正することになる。担ぎ投げは、肘の関節で投げるといっても過言ではない投法で、肘への負担が大きくなり早々に故障をするというリスクが大きい。この時すでに、江夏氏は肘の痛みをうったえてたそうだ。

 林氏は江夏投手に、腕全体を使ったしなりのなる投げ方を教えこむのである。これにより、体力勝負で投げていた投球が劇的に変化し、球数が増えても疲れない事を理解し、投手とは「正しいフォームによる力強い」と、「勝負度胸をささえる自信」が投手にとって不可欠だということを知る。

よみがえる熱球-プロ野球70年- 第6集 豪腕・二十歳のエース-1 」09:30あたりからその分の話が始まる。この林義一氏の投球解説は非常にためになるので、小さなお子様にもぜひ見てもらいたい。

 江夏氏はこのキャンプで、3000球を投げ込んだという。その中で、自分が投げているボールの中でも、特にキレのある活きているボールを投げる方法を見つけだすことになる。これが、江夏豊投手の投球術を定めるものとなった。

 さらに、このキャンプで、一年目には投げれなかったカーブをも取得する。フォームを変更に成功したことにより、ストレートと同じ腕のふり、同じ肘の使い方で手首だけをひねって投げる、変化は少ないが豪速球と相性の良いカーブを手に入れたのである。

 同じ腕のふり、同じ肘の使い方はプロ野球ではとても大切だ。日本の野球「スモールネースボール」において、「癖」を見抜かれるということは致命傷につながりかねない。逆に、白球のリリースポイントが全く同じで球速、軌道が変わる、それだけでも大きな武器となる。
 (最近では、意図的にリリースポイントを変える投手もいることを言い添えておこう。)

 事実、江夏投手はこの年401奪三振を奪う。世界記録には認定されていないが、あの、ノーラン・ライアン(リリースポイントを意図的に変える投手が所属する球団のオーナー)をも上回る数字である。

 江夏豊投手は、今後も野球学を勉強するにあたり、重要な人物であることは間違いないだろう。そのターニングポイントとなったのが「昭和43年2月のキャンプ」での林義一氏との出会いで、もし、それがなければ肘を壊していた可能性が高かったというのが今回のお話である。

 参考文献

よみがえる熱球-プロ野球70年- 第6集 豪腕・二十歳のエース-1

よみがえる熱球-プロ野球70年- 第6集 豪腕・二十歳のエース-2

よみがえる熱球-プロ野球70年- 第6集 豪腕・二十歳のエース-3

よみがえる熱球-プロ野球70年- 第6集 豪腕・二十歳のエース-4

 第2回は、国民栄誉賞を受賞した「長嶋茂雄氏」にスポットを当てたい。おもろいおっちゃんと思っている若い人も多いだろうが、野球学という分野から見るとすごい選手というのは言うまでもないだろう。

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